リゾートバイト体験談

ハワイでリゾートバイトの波乱万丈な記録!働ける条件とは?

ハワイで海外リゾートバイト

「どうせ働くならハワイで働いてみたいなぁ…」

そんな漠然とした思いを持ったのが大学も卒業間近の2月の中旬。

周りを見れば大学院に進む人、就職をする人、結婚する人…。

それぞれの道を進んで行く3月の終わり、私は単身南国の・オアフ島に降り立っていました。

ハワイの海

この記事では、実際に海外のリゾートバイをしてみた私の1年間を包み隠さず語っていきたいと思います。

なぜ?どうやって?お給料は?家賃は?などの具体的な事や、良かったこと・悪かった事など私なりの感想を交えていきたいと思います。

ハワイでリゾートバイトを始めた経緯

当時、私はアメリカ・シアトルで大学生をしていました。4年間の大学生活も終わりに差し掛かり、卒業後の進路のビジョンをハッキリと持てていませんでしたが、せっかくだからアメリカで働いてみたい!という思いを持っていました。

アメリカでは大学を卒業するとOptional Practical Trainingという名目で1年間の就労許可書がもらえます。

就労許可書カード。

この許可書を貰って働いていた留学生たちの多くは大学内のコンビニやコーヒーショップ、近くのスーパーで働いていました。

「現地の大学を出たのに、近所のコンビニで働くのって勿体なくない?」という友人のアドバイスを貰い、

新しい場所で一味違った事をしてみよう→仕事の多そうなところといえば・・→ 観光地! → NYかハワイかなぁ → 治安が良くて暖かいところがいい!→

そうだ!ハワイ行こう!

というなんとも安易な理由でハワイ行きを決めたのでした。

ハワイの海

昨日までダウンジャケット着てたのが信じられない3月

そもそもなぜアメリカに行ったのか

話は前後してしまいますが、私が日本から単身アメリカに渡り、現地の大学に入ったのは18歳の時でした。もともと英語が好きだったのと、小学校から仲の良かった友達がアメリカからの帰国子女だったので、いつかアメリカで生活してみたいなぁと思っていました。

高校生になると、短期ホームステイや英語プログラムなどに積極的に参加するようになり、「大学はアメリカに行って、一人で何かを成し遂げたい」という思いが強くなっていきました。将来は〇〇になりたい!というような具体的でカッコイイ目標は何1つ持っていませんでしたが、行動すれば何か見えてくるだろうという精神だけは持っていました。

ひとくくりにアメリカと言っても膨大な数の大学が存在しています。もちろん大学の情報や知識などは何もしらないド素人。街角でみかけた留学フェアや留学斡旋会社の無料カウンセリングなどに行って情報を収集したり、本屋やネットを徘徊してイメージを膨らませていきました。

絶対にこの大学に行きたいんだ!〇〇を勉強して〇〇になりたい!という立派な夢は何一つ

持って居なかったので、自分にとって住みやすい環境ができそうな条件をリストアップしました。

  • 治安が良い!!→大事です
  • 車は運転したくない→ 交通機関が発達しているところ
  • 遊ぶ場所が少ない→甘え防止
  • 大都会は嫌!だがド田舎も嫌→ マイルドな郊外、ちょっと足を延ばせば買い物に出られる場所
  • 学校に日本人が多すぎて欲しくはないが、多少は留学生がいること
  • 学校のメールや対応が良いこと
  • 費用→言わずもがな…

こんな欲張りな願いをかなえてくれる学校なんてあるのかしら?と思いながら、めぼしい学校にメールを送っては「ここは違うなぁ~」「ここは良さそうだけど費用がなぁ‥」の繰り返し。そうこうして白羽の矢が当たったのが、ワシントン州シアトルの郊外にある小さな学校でした。海沿いの静かな住宅地で、スーパーやショッピングモールには町中を網羅してる市内バスでどこでも行くことができました。

留学手続きはすべて自分で行いました。意外と簡単で費用も掛からないので、留学を考えている人は絶対自分でやる事がオススメです!大学と直接やりとりをするので、メールの対応や質問への回答などを自分の目で確かめられるのも大きな収穫でした。

大学への入学希望に必要なものは

  • 願書
  • 手数料
  • TOEFLの結果(大学によりますがiBT80点、 PBTは600点以上が普通)
  • 高校の成績証明書(英語)
  • 高校の先生からの推薦状(英語)は任意ですが、私は提出しました。

ひとまとめにして郵便局から国際便で送りつけると、1ヶ月もしないうちに大学からの合格通知が届きました。

合格通知と共に送られてきたのは、I-20という入学許可証です。ただのA4サイズくらいの紙ですが、とっても大事。これがないとビザの申請が出来ません。

I-20 (アイトウェニー)は、すごく大事なのにただの紙です

これを持ってアメリカ大使館に提出すると学生ビザであるF1ビザがもらえますが、書類に不備があるとビザはおりません。結構な確率でI-20の記入ミスなどがあるので、学校からI-20が届いたから必ずチェックが必要です。現に私もI-20に書かれていた日付が間違っており、大学に問い合わせをして作り直してもらいました。

無事にI-20をゲットしたらアメリカ大使館へ提出します。ビザ申請は郵送ではできないので、必ず自ら行大使館へ行って簡単な英語での質疑応答をしなくてはいけません。それらをこなし、大使館からビザが送られてきたのは約1週間後、願書を出してからは2か月弱だったと思います。

こうして無事、アメリカの学校生活をスタートすることが出来ました。

ハワイでのバイト探しと生活

大分脱線してしまいましたが、大学を卒業して「仕事はリゾートバイトする~!」という軽いノリで決めたまでは良いですが、もちろん現地に知り合いもいませんし情報もありません。早速ハワイのポータルサイトで情報収集です。日本人の多い場所とあって日本語での住居・仕事などの情報は結構簡単に知る事が出来ました。

日本人同士のルームメイト募集もよく出ているので、条件にあったところにコンタクトを取り住居を決定。また仕事もネットに求人を出している会社に応募し、履歴書を送付。面接が3月下旬だったので、3月中旬にはハワイに行けるように手配をしました。

ハワイ到着!見知らぬ白人男性と2人きりで暮らす1週間

まだ肌寒い3月下旬。4年間お世話になったホストファミリーや友人達と別れを告げ、シアトルからハワイへと飛び立つこと4時間。空港に降り立った途端に感じる暖かい風、南国の雰囲気は、また新しい土地でのスタートを切るんだなぁという気持ちにさせてくれました。

事前にネットのルームメイト募集でコンタクトを取っていた日本人女性のミホさん(仮名)の婚約者さんが、仕事の合間をぬって空港まで迎えにきてくれていました。大人なしめな白人男性のスコットさん(仮名)は、単身乗り込んできた異国娘に色々話しかけてくれ、おすすめのレストランやハワイでの生活などを教えてくれました。

彼らの家はワイキキからバスで20分くらいのところにあるマノア地区のコンドミニアムで、近くにはハワイ大学があります。20階の高層マンションの14階という眺めがとても良い場所で、スーパーや小さな飲食店も近く、バス停も近くにありました。

ハワイ コンドミニアム
ハワイで最初に住んだコンドミニアム

案内された部屋は2ベッド2バス、リビング、キッチン。

部屋にお風呂が2つある間取りなので、お風呂もトイレも私の専用として使用して良いとのこと。これはラッキー!といった感じでした。

リビング・ダイニング・キッチン・洗濯乾燥機は共有で1ヶ月800ドル。

電気・水道・インターネットは込みです。

ハワイ コンドミニアム

シアトルにいた時の家賃相場は2ベッド1バスの部屋を2人でシェアすると1人360ドル位だったので、調べ始めた時はハワイの家賃の高さにとても驚きました。ワイキキエリアだと1ルームで1000ドルは確実に超えてきます。恐ろしや、ハワイ。

スコットさんから一通り家の説明を受けると、婚約者のミホさんが昨日から急遽日本に帰国している事、ハワイに戻るのは1週間後である事を告げられました。(深夜にそのことを私にメールをくれたそうですが見ていませんでした)

ということは、彼女が戻ってくるまでの1週間、たった30分前に会ったこの男性と2人きりで生活…!?それなんて昼ドラ…💛という妄想が膨らみましたが、現実はそんなに顔を合わせる機会もなく過ごすだけでした。

ハワイ 虹
部屋からの景色は山側

最初は知らない男性と1つ屋根の下…!なんてソワソワしていましたが、お互い自分の事に忙しく、その内どうでも良くなってきました。そして約束の一週間後には日本からミホさんが帰ってきて、改めて3人の生活が始まりました。

ミホさんはハワイ生活10年目のベテラン。学生としてハワイに来てスコットさんと知り合ったそうです。つい数日前に出会った私に「今度の週末、友達の家で婚約パーティするから一緒においでよ」と誘ってくれたり、とてもよくして貰いました。


みほさんの婚約パーティ

ハワイで仕事を探して働く

めぼしい求人はシアトルにいた時から面接の予約を取り付けていたので、ハワイについてからは面接の準備に勤しんでいました。

それでも募集は常にチェックしていましたが、さすが観光地。求人の数はシアトルの比ではなく、リゾートならではな募集も沢山ありました。ツアコン、ホテル業、ツアードライバーや、空港送迎ドライバー、シュノーケルインストラクター、ネイリスト、セラピスト…。得意な分野がある人は引く手あまたなのが、リゾートバイトの醍醐味だと思います。

面接当日は、スーツを着て会社に向かいました。ハワイのフォーマル服はアロハシャツなので、スーツを着ている人は見たことがありません。

応募した会社はワイキキのど真ん中にあり観光客で溢れている場所だったので、その中をスーツで歩くのは少し恥ずかしかったです。

面接は社長と補佐の方2人行われ、英語と日本語の両方で仕事内容の説明、給料などの話もされました。給料に関しては相場が分からず相手の提案された金額にただ首を縦に振ってしまったのですが、これが後で大きな致命傷になるとはこの時思ってもいませんでした。

なんと、仕事の面接はその場で採用。出勤は明日から!

面接の結果は1週間後と聞いていたので、その間に他の面接も受ける気でいましたが、その場で採用してもらえることになったのでお願いすることにしました。


ワイキキ中心部はオフィスビルも多い!

私がハワイで働いた会社の説明

私がハワイで働くことになった会社は、インターネット通信事業をしている日本の会社でした。主に観光客への携帯電話レンタルや、電話回線の契約、インターネットモデムの販売などがメインです。日系の会社を選んだのは、ローカルで働くより安心できそうだったからなのと、後々の就職を考えた際にオフィス勤務の経験が欲しかったからです。

会社自体は全部で5人だけの小さなオフィスですが、ワイキキの一等地にあったので携帯電話をレンタルしたい観光客はひっきりなしに訪れていました。また留学斡旋業者と提携しており、ハワイに到着したばかりの短期留学生達の団体がお店に送り込まれると、カモネギが来たと言わんばかりに次々とインターネット回線や携帯電話の契約をさせていました。

オフィスは2人がハワイ人、日本人は私を含め3人。私以外は全員既婚者でハワイに定住している人たちでした。ハワイの公用語は英語ですが、ハワイ語も混ざっているので聞きなれない単語、訛り、地名などに慣れるまではちょっと苦労しました。

インターネット回線の契約に力を入れていたので「ちょっと外行って数字取ってこい」といういきなりな無茶ぶりに慌てながらも、オフィスビルや店舗への飛び込み営業をしたり、語学学校に出向いて生徒を勧誘したり、とにかく毎日必死に過ごしていました。


電話代の請求作業中

ハワイはワーホリで働けるのか?

ハワイで働いていた時から「どうやったらハワイで働けるの?」という質問を色々な方からされていました。勧誘していた語学学校の生徒さんにもよく聞かれたり、日本に住む友人からも「私もハワイにワーホリできたりするー?」というメールが来るくらい関心が高いのだなと実感したのですが、残念ながら答えは

「アメリカにワーホリ制度はありません!」

しかし、J1ビザインターンシップなる制度はあります。

J1ビザとは

アメリカ大使館のHPによると、「流訪問者プログラムであるJ1ビザは、教育、芸術、科学の分野における人材、知識、技術の交流を促進するためのビザ」だそうです。ワーホリは「休暇」という扱いなので、仕事をせずとも滞在する事が可能ですが、J1は仕事をする事が条件になります。

またJ1を申請するには、

  • 受け入れ先企業が決まっている事
  • 渡米に必要な費用を持っている事
  • 就労するに必要な英語力を有している事
  • 18歳以上である事

ソース元:米国ビザ申請・交換訪問ビザ-日本(日本語)

という条件をクリアすれば、ワーホリと同じような形で海外でリゾートバイトをする事が可能です。

それでもハードルが高いなと思った場合は、夏休みなどの短期インターンシップを行っているところもあり、ビザなしで職場体験ができたりするので、そんなプログラムを探してみるのも良いかもしれません。(その場合はあくまで職業体験なので、ほぼ無給だと思った方がよいかも…)

リゾートバイトは派遣会社を通して働くのが普通ですが、海外のリゾートバイトを扱っている派遣会社はないので注意して下さいね。

私の1日のスケジュール

当時の私の雇用形態は朝9時~18時まで、お昼は交代で1時間でした。しかしお店のオープン時間が9時~18時だったので、30分前に来てお店の掃除、終わってからも片付けやメールの返信などがあったので、実際にお店を出られるのは毎日19時半、遅くて22時近くになる事も多くありました。

そしてなぜか時給ではなく月給制だったので残業代は出ないという謎ルール。しかし社会に出るということはこれくらい当たり前なんだ思っていました。

当時の一日のスケジュールはこんな感じです。OLみたいですね笑

1日のスケジュール ハワイ

ハワイで働いてもらった賃金は?

1ヶ月経って給料明細が渡されると、そこに書いてあった金額はなんと932ドル

1ヶ月フルタイムで働いて9万ちょっとです。($1=100円の場合)

単純計算すると月給932ドル=日給40ドル=時給5ドル

残業分を入れたらもっと少ないです。

こんだけ必死にやって時期5ドル?あまりの低賃金に愕然とし、社長に確認を取りに行きましたが、細かい計算式を出されて丸め込まれてしまい、月給そのまま有耶無耶になってしまいました。

今思えば他のところに行けば良いじゃんと思うのですが、当時はせっかく雇ってもらったのに申し訳ないというのと、一度決めたものは投げ出してはいけないという気持ちが強かったので、辞めるという選択肢はありませんでした。

当時貰った税金関係の書類

とはいえ、先立つ物は金です!リゾートバイトといえど先立つものは必要です。
生活出来なければ海外リゾート地にいても意味がありません。給料が9万なのに家賃が8万だとしたら、かなりの大赤字です。

そこで私が考えたのは、「仕事を増やす」でした。ハワイに来たばかりの私には、周りにそれといった知り合いもいません。仕事が早く終わったとしても特にやる事は無く、帰りにふらっとショッピング…といってもワイキキの街に並んでいるのは海外の一流ブランド店ばかりなので見る気も起きず、土日も同様に部屋でダラダラしてしまうけだったので、その時間を有効に使おうと第2の仕事探しを始めました。

もう1つのアルバイトでお寿司屋で働き始めました

そうと決まれば即行動。条件は「会社帰りと土日に働けるリゾートバイト」なので、夜遅くまでやっている場所=飲食店!と決めて探し始めました。あと飲食店なら賄いも付いてくるはずという淡い期待もありました。

毎日仕事終わりに、めぼしい店を見つけては履歴書片手に飛び込み営業を試みましたが、私の希望する時間帯は混雑ピークを過ぎた時間。「夜7時頃からのアルバイト?それじゃあ厳しいわね‥」という当然の返事ばかりでした。

必死にリゾートバイト探しをしていると、ちょっと敷居の高そうな日本食レストランを発見しました。会社からは徒歩3分という好立地です。入るには少し気負いがしましたが、勇気をだして飛び込んでみたところ、運よく採用OKというお返事を貰う事が出来ました。

そのレストランはお寿司がメインの日本食レストランでした。寿司カウンターには板前さんがいて、目の前でお寿司を握ってくれる本格的な回らない寿司屋さんです。テーブル数はそんなに多くなく20席もなかったと思いますが、夜は行列ができる程混雑していました。

最初はそこのウェイトレスとして、日中の仕事終わりの午後7時位から閉店の22時まで働くことになりました。(日中の仕事に合わせてシフトインさせてくれたので、とても助かりました)

高校生の時は飲食店でアルバイトをしていたので自信はあったのですが、今思えば当時の私は若干キャパオーバーだったのでしょう。右も左も分からぬ土地にきて1ヶ月、日中の仕事もまだ覚束ないままに新しい仕事を始めてしまったので、脳みそが追い付いていない状態でした。

平時なら簡単に覚えられるようなものでも、何度目を通しても覚えられず「自分の脳みそのキャパは、ここなんだなぁ」と俯瞰して見ていたのを覚えています。

とはいえ飲食店のバイトなので、そんなに難しい内容の事ではありません。細かい作業が多い日中のバイトよりは気楽にやっていました。

ホールはカウンターの板前さんを含めて4~5人。全員日本人です。ハワイ定住して〇十年という40~60代のベテラン勢でした。裏の厨房は2~3人のフィリピン人が入っていました。

ハワイではチップ制度があります

アメリカのレストランで大きく日本と違うのは、テーブルが担当制だという事。

自分が割り当てられているテーブルのみの対応をするので、他のテーブルは気にしなくて良い事です。忙しかったりするとカバーし合うので、そこは臨機応変といったところでしょうか。なぜこのような仕組みになっているかというと、チップがあるからです。

飲食でもホテルでも、サービスに対してチップを払うのが一般的なアメリカは、食事をした金額の10%~20%を担当してくれたウェイターに支払うのが普通です。もちろんお給料は店から出ていますが、最低賃金ギリギリな上にほぼ税金で持っていかれるのでチップが大きな収入になります。

本来ならテーブルの上に置かれていたチップは自分のものになるのですが、このお店ではチップは一旦全部ひとまとめにし、後から振り分けていました。私の場合、平日3時間でチップは5~20ドルくらい、日曜は1日中シフトインしていたので50~80ドルのチップをもらっていました。古くから勤めている人はもっと多くもらえていたので公平な振り分けでは無かったようですが、それでも一回出勤すれば現金で小金がもらえるのでバカにできないお金でした。

飲食店の時給

ここのレストランでは時給7ドルくらいでした。後にウェイトレスからキャッシャー(レジ担当)になったので、給料は少し上がって8ドル。おそらく当時の最低賃金だったと思います。また給料は1ヶ月毎ではなく、2週間毎の支給です。日中の会社は日系だったので日本と同じ1ヶ月単位の振込でしたが、アメリカならどこも2週間毎が普通です。

馴れないと「え、もう給料日?」と思ってわくわくするのですが、月給感覚で明細をみるとあるあるガッカリ…

賄い

賄いは1出勤1回もらえます。主に牛丼や天丼などでしたが、たまーにお寿司な時もありました。しかし賄いは給料から3ドルほど天引きされていたので、社割的な感覚かもしれません。毎日お店が閉店する夜10時くらいまで飲まず食わずだったので、仕事終わりの牛丼がとても美味しかったです。

仕事終わりに同じ店で働いていた日系ブラジル人の女の子と一緒に海に行き、夜のワイキキビーチで月を見ながら2人で牛丼を食べたりしていました。

賄いの量も多いので1回で食べきらずに、翌日のご飯に回したりして食費を浮かせていました。

ハワイ 寿司屋 賄い
板前さんアレンジのフラワー梅かっぱ巻き

ワイキキへ引っ越し

ハワイに来て4ヶ月くらいが経ちなんとなく生活に慣れたころ、モバイル会社の取引先の方から空き部屋の話が入ってきました。彼が現在住んでいる部屋を引っ越す必要が出てきたので、次に住んでくれる人を探しているとの事でした。アメリカでは部屋を退去する際、友人や知人などにそのまま部屋を引き渡すことが出来ます(もちろん手続きはちゃんとします)。その場合、家具などもそのままの状態で売り買いできるので、退去する方も入る方も気楽に引っ越せるのです。

彼の住んでいる部屋、ワイキキ中心部から徒歩10分くらいの1ルームのコンドミニアムで家賃は月900ドル(光熱費込み)。現在住んでいる家は月800ドルでワイキキからバスで20分。100ドルの値上がりは痛いですが、会社から徒歩で帰れる距離は魅力的です。更にベッドや家具、特に自転車を残して頂けるいう豪華特典付き。

ワイキキ中心部は比較的安全ですが、それでも夜にバスを待っているのはあんまり良いとはいいえません。バスの中でも1人でいるのは怖いですし、バスを降りてから家までの道も当然安心ではありません。月100ドルでそのリスクが減るのなら断然買いでしょう!そしてなにより帰りのバスの時間を気にして焦る必要がなくなったのも気が楽でした。

そしてしばらくしないうちに寿司屋のリゾートバイトで一緒に働いていたブラジル人の女の子とルームシェアをするようになり、家賃は折半して450ドルで住めるようになりました。1ルームを2人でシェアするので、そんなに広くはありませんでしたが、お互い家にいる事が少なかったので全く不便に感じませんでした。たまに時間が合えば2人で買い出しに出かけたりできる気軽な関係がとても楽しかったです。

ハワイ ルームシェア
ワンルームを2人でルームシェア

南国のボスとの遭遇

以前住んでいたコンドミニアムは新しめな高層ビルの14階だったので気にしてこなかったのですが、新居に引っ越して気づいてしまったことがありました。

数々の生命体の王、ゴキ〇リの存在です

人類の誕生より前から存在していた彼らは、この楽園でも自身の存在を大きくアピールしながらのびのびと暮らしていらっしゃいました。

私の部屋は8階にあったのですが、5階にプールやランドリー施設があったため、彼らも容易に上がってきます。

バルコニーで一息ついていると手すりを横切っていらっしゃる姿はよく見かけ、端や街路樹の根本、電信柱、植え込みでもよくお見掛けしましたが、不思議なもので慣れるとあまり気にならなくなってきました。

1週間のスケジュールと休日の過ごし方

2つの仕事をしていた私の1週間のスケジュールはこんな感じです。

土曜日だけは夕方までフリーだったので、1週間分の洗濯をしたり買い出しをしたりして過ごしていました。中心部からはちょっと距離がありますが、自転車だとスイスイ。ドン・キホーテやブックオフなどの日本のお店があったので、さくっと買い物に出かけていました。

海は徒歩3分くらいでしたが、あまり泳ぐ気にもなれず1度も泳ぎませんでしたが、コンドミニアムについていたプールはフラっと泳ぎに行ったりしていました。


コンドの隣は大きな公園、そして周りはリゾートホテル

仕事でまさかの訴訟!私が訴えられる!

2足の草鞋もなんとか履きこなしていたハワイ6ヶ月目くらいでしょうか、ハワイ定住の日本人のお客様のインターネットモデム契約を担当しました。いつも通りに店頭で商品の説明をして契約書のサインを貰い、商品をお買い上げいただきました。それ自体は何も問題はなく終わったのですが、後日そのお客様が「プランの変更をしたい」という連絡をしてきました。プラン変更は契約から7日以内という規則がありましたが、もう契約から7日は過ぎてしまっていました。その旨を伝えるとお客様は大激怒。「そんな話は聞いていない」の一点張りです。契約の際に説明項目にチェックを入れながら進めているので、こちら側に落ち度はないはずなのですが「その説明は受けなかった」とお客様はどんどんヒートアップ。何度も話し合いを行いましたが納得してもらえず、ついに裁判を起こされてしまいました。

以前マクドナルドで出されたコーヒーが熱すぎて訴訟を起こしたというくらいアメリカは訴訟大国です。「え、そんな事で…?」という事や、納得いかない事はすべて裁判や弁護士に結びつけるのが普通です。頭ではそれを理解していましたが、いざ「訴えられた」と聞くと物凄いショックでした。

もちろん社長はカンカン。「言った、言わない」の話で堂々巡りになり、にっちもさっちも行きません。

実はこの事件よりちょっと前あたりから、会社の携帯電話を持たされていました。24時間電話対応をするためです。日本からの電話もあるので時差関係なく夜中に起きたり、土日も対応したりと気が休まる時間が無くなっていました。

海外での外回り営業で契約を取れていない事を社長からは連日チクチク言われていたので、この訴訟事件で更に風当たりは強くなり、段々と寝られなくなっていきました。

そのころの私は完全に疲れきっており、日中のバイトのストレスを、夜のバイトで発散していました。レストランの皆は、自分の子供と同い年くらいな私の面倒をよくみてくれ、精神的にとても助けてもらいました。日中の仕事の事を相談したことはありませんでしたが、彼らの明るい空気に入っていくだけで気持ちが軽くなっていっていたので、私にとっては救いの場所でした。


ネタを仕込む板前さん

夜中の頭痛から…

それでも体調は段々悪くなってき、頭痛がひどくなってきました。夜中も頭痛で目が覚めるようになり睡眠導入剤を飲むようになっていたある夜、頭にとんでもない激痛が走りました。あまりの痛さに涙が止まらなくなり、パニックになりながら保険会社に連絡をしました。救急車を呼ぶのは大ごとすぎる!でもどうしたら良いか分からない!あ、会社の保険会社…!と、会社で入っていた雇用保険を思い出し電話をしました。たまたまルームメイトのブラジル人は故郷に里帰りしていたので、私1人の夜でした。

嗚咽が止まらない私を察してか、電話口の担当の方はすぐタクシーを手配してくれました。家の鍵と財布、携帯電話を持ってタクシーに乗ると、連れていかれたのは大きな総合病院でした。

後から知ったのですが、私が連れていかれたのはクイーンズ・メディカル・センターというハワイで最大の医療センターです。実はその後あまり記憶がなく、気付いた時は窓もない全面真っ白な部屋に入れられていました。

そこにはベッドが1つと、何かの機械。その機械はコードで私の頭や腕に繋がっていました。そして天井には3台の監視カメラ。

え、なにここ??

荷物は取り上げられてしまったので時間も分かりません。しばらくすると2人の女性が入ってきて色々質問をされました。なんの質問だったかは覚えていませんが、私はしきりに時間を気にしていました。なぜなら次の日も仕事だったからです。頭痛は収まっていたので、早く家に帰りたいという旨を必死に伝えましたが、またしばらく白い部屋に放置されているだけでした。

しばらくウトウトしていると、部屋をでるように言われ「ここは満床なので、他の病院に移送します」と救急車に乗るように言われました。私は「もう帰りたい!明日仕事なの!」と伝えると「その許可は行った先の病院が判断します」と言われ、ストレッチャーに寝かされました。

時間は夜中の3~4時。救急車での移動時間が予想以上に長く「ちょっとどこまで連れてく気なの?!仕事間に合わなくなっちゃうじゃん!」と、頭の痛かったことなどすっかり忘れて仕事のことばかり気にしていました。

隔離された施設に…

救急車で連れていかれた先は、病院とはいえないような建物でした。平屋で天井が高く、何かの施設のロビーといった雰囲気でした。出迎えてくれたナースもカラフルな服をきていたので病院と聞いても半信半疑でした。

着いて早々「今日は仕事に行かなくてはいけないから、帰らなくてはいけないの」と必死に訴えましたが「ドクターが来るまでは、ここから出られないのよ」という回答の一点張り。「ドクターは何時に来るの?」

「6時ころじゃないかしら」

よし、なら間に合う!

ナースたちは私の部屋に案内してくれましたが、私は一刻も早くドクターに会って帰宅許可が欲しかったので、そのままホールで待ちたいと伝えました。

時刻は朝5時頃、ホールのソファーで今か今かと待ち続けます。

しばらくすると先ほどのナースがやってきて「ドクターに会ってもすぐには帰れないわ。貴方は検査をうけないといけないから。」と衝撃的な事を伝えられました。

「そんな事をしてたら仕事に行けない!」と食い下がっても、

「もう今日は仕事に行くのは無理だからベッドで寝なさい」

と部屋に連れていかれてしまいました。

仕事に行けないなんて言ったら、社長にどれだけ怒られるか…

その事ばかりが頭の中ををぐるぐると回っています。

抜け出そうか…

そんな事を一瞬でも考えましたが、抜け出したところで財布も携帯も取り上げられているので帰る手段がありませんでした。

閉じ込められた以上はやる事もないので、大人しく寝る事にしました。昨日の夜からの出来事があまりにも壮絶だったのか、あっという間に眠りにつくことが出来ました。

目が覚めたの時は外が少し騒がしくなっていました。そっとベッドから降りて部屋のドアから外を覗いてみると、たくさんの人たちがホールを往来していていましたが、ちょっと様子が変でした。

普通に歩いている人

両手を前に突き出しながらまるでキョンシーみたいに歩いてる人

体が傾きながら足を引きずっている人

何かをブツブツ唱えてる人…

え、ここどこ!?!?ってか、今の何!?

慌ててドアを閉め、今見たことを頭で整理しましたが、全く整理が出来ません。

もう一度ドアを開けて外を見てみましたが、先ほどと同じ光景が広がっているだけです。

あっけにとられて見ていると、ナースから白いタッパーを渡されました。

中を見てみるとパン、トウモロコシ、肉、ポテト、野菜などが入っています。

皆配られてたタッパーを受け取るとホールの真ん中の大きなテーブルで自由に朝食をとっています。先ほどみた光景がショックだったのか、はたまた現実を受け入れられないでいるのか覚えていませんが、あまり食べる気になれず少しだけつまんで終わりにしました。

朝食を食べ終えるころ、ドクターが朝の挨拶にやってきました。

私は持っていたたタッパーをゴミ箱に放り投げるとドクターに駆け寄り、今すぐ診察して帰宅させてほしい旨を伝えましたが、もちろん答えはNo。

もう時刻は8時半。今日は完全にバイトには間に合いません。

とりあえず会社に休むことを伝えなくてはいけないと思うと、とても憂鬱な気分になりました。病院の電話を借りようとすると、心配したナースが代わりに電話しようか?と言ってくれましたが、病院にいる事を知られたくなかったので自分で電話をしました。

会社に休むことを伝え電話を切ると、気持ちが少し楽になりました。

さて、改めて施設の様子を見てみると、やはりここは全く病院っぽくはありません。

退院してから調べてみたところ、私のいた施設はKahi MoharaというEwa beachにあるヘルスケアセンターでした。

ワイキキから車で約30分くらいの場所です。


ソース元:Jame Campbell Company LCC

建物も病院の雰囲気ではなく、入口は大きなホールになっており、奥に行くと体育館や自由室のような部屋もあります。

ホールから直接各個室に繋がっており、ナースカウンターからはすべてが見渡せるようになっていました。外に出られるのかとドアを押してみましたが、きちんと施錠されており、中からは出ることができませんでした。施錠された空間に入れられてる事に地味にショックを受けました。


うろ覚え施設内

また壁に大きなホワイトボードが張ってあり、20名ほどの名前が書かれていました。

私の名前もその中にあったので、おそらく今この施設に入居している人達の名前なんだろうと思います。よく見ると、★がついている人とついていない人がいました。

後から分かった事ですが、★組は建物から出ることはできません。食事も個別に用意されたものを建物内で食べ、洋服も支給されたものを着なくてはいけません。

名前の横に何も印がない人達の服装は自由で、食事はビュッフェのように自分で取りにいけるスタイル。庭でピクニックのように食べることもでき、ある程度は自由がきくようでした。

★=服装は指定、屋外禁止、食事は個々

無=服装は自由、庭に出られる、食事は自分で好きなものを食べれる

私の名前の横にも堂々と★が付いていたので、指定された服に着替えなくてはいけません。

渡された服は手術するドクターが着るようなペラペラな緑の上下服。これを着たら、私はここから出られくなってしまうのではないか…という不安があり着替えたくなかったのですが、

昨日からのバタバタで汗臭くなっていたので、しぶしぶシャワーを借りて着替えました。

しばらくすると検査の為に別棟に連れていかれました。

何をしたのかハッキリとは覚えていないのですが、質疑応答や簡単な能力テストをさせられたような気がします。そしてドクターから告げられたのは軽度のDepression(うつ病)との事でした。

うつ病と言われても特にピンを来ることはなく、「…だから?」という気持ちの方が大きくありました。そんな事を勝手に診断されても私はとても元気。「うつ病とかどうでもいいから早く帰ってバイトに行かないとな…」そればかり考えていました。

ホールに戻されると皆各々自由に遊んでいました。体育館でバスケをしたり、絵をかいたり、音楽をかけて踊ったりしています。何かしてみようという気は全く起きなかったので、その日は寝て過ごしました。夕方頃、全員でのアクティビティに参加するように声をかけられましたが、参加はせずずっと部屋に籠っていました。

次の日の朝はまた会社に電話をかけましたが、今度はドクターが話すことになりました。あまりにも私が「バイト、バイト」とうるさいので、ドクターが直接社長に状況を説明していました。数分話して電話を切ると、私に向かって「バイトが全てじゃないし、無理なら辞める選択肢もあるんだよ」と言いましたが、私は何も返事はしませんでした。

もしかしたら「逃げる」という事は「負け」だと思っていたのかもしれません。

今から思えば、私は自分の思っている以上に優秀な人間だという気持ちがあり、きちんと仕事をこなせない自分が腹立たしく、負けたくないという気持ちがあったのかもしれません。要はプライドが高く、「ハワイで働いている」という響きを先行して現実をきちんと見れていませんでした。「ここで辞めたら親が何か言ってくるかも…」「大学の友達に笑われるかも‥」「ダメ人間って思われたら恥ずかしい」。そんなくだらない事が頭の中を占めていたのでした。

今なら言える事ですが、若いうちにこれだけのパンチを食らった事は、後々の仕事選びや人生観に大きく影響したので、この出来事にすごく感謝しています。この事がなければ、私は「自信だけは無駄にある痛い人」になっていたと思います。

私が必死になっていたのは、何のためだったんだろう?

そんな事を考えながら2日目も過ぎていきました。3日目は午前中のアクティビティに参加してみました。グループで円陣を組んで、与えられたテーマに対して1人1人話していきます。また薬も処方されました。飲めと言われたので飲みましたが、あの薬は一体なんだったのか未だに不明です。

午後になると「もうその洋服は脱いでいいわ」とナース言われ、自分の持参した服を着るように言われました。しかし着替えも何も持たずにやってきたので、初日に着てきた服しかありません。当然洗濯もしていませんが他に着るものがないので仕方なく自分の服に着替えました。ズボンは腰紐がついていましたが、ナースにハサミで切られてしまいました。

以前ズボンの紐で首を吊った人がいたらしく、それの防止だったそうです。

昼食の様子も変わりました。自由服を着た人たちだけ列になって外に行きます。

庭には大きなベンチとテーブルがあり、学校給食のように並んでご飯を貰います。久しぶりにハワイの太陽の下で感じたことは「暑いなぁ」でした。

最初はなんてところに来てしまったんだろうと思っていましたが、ここでの生活は普段の平常な気分に戻してくれている事に気がつきました。特に何かに追われることも、考えることもなく、何も心配することもありません。数日前までの「会社にいかないと死んじゃう!」という気持ちが、今は「会社どうしよっかなー」というくらいまでのテンションになっていました。

4日目の朝、またドクターとの面談がありました。

「会社の結論は出たかい?」という質問に対して「うん、帰ったら辞める…かな」と伝えると、ドクターは「それが良いよ」と言い、部屋に戻されました。

昼食を取っているとドクターがやってきて「最初に来た時に比べて十分落ち着いたね。アクテビティにも参加してるし、もう帰っても大丈夫だよ」と告げられました。退院の宣告を食事中にされると思っていなかったので、不意打ち中の不意打ちでしたが、帰れる事は素直にホッとしました。

そして退院へ

退院許可がおりても手続きやらなんやらで、結局完全に施設を出たのは夕方になっていました。当然迎えに来る人などいないので、病院でタクシーを呼んでもらい、預かってもらっていた荷物を受け取るとタクシーに乗り込みます。

自分の住所を告げると、小学生くらいの女の子が助手席に座っています。

「あ、妹を迎えにいったついでに来たから気にしないで」と運転手が言うと、そのまま出発しました。

夕方の渋滞にはまり、家についた時はすっかり夜。

タクシー代の高さもまた、ずいぶん自分が遠くに押し込められていたんだという事を教えてくれていました。

4日ぶりの我が家は特に何も変わっておらず、私が家をでた時のまま。

久々の家でのシャワーを浴び、気持ちもスッキリ。会社の事もなんだか他人事のように思えていたので、あんまり気にする事はなくなっていました。

部屋のバルコニーに出て、私のしていた海外リゾートバイトの要項を紙に書きだしてみました。

モバイル会社
  • フルタイム
  • 日系の企業(月額給料制)
  • 職種: 接客、事務、営業
  • 英語力:プランや契約の説明、電話、メールなどが出来ればOK
  • MS Officeは必須
  • 賃金:月給932ドル(時給5ドル以下)しかし、スタバカードは良くもらえた。
  • 制服:自前のビジネスカジュアル
  • ノルマ:販売ノルマ有
  • 接待や会議などで色々な場所には連れて行ってもらえた。

寿司屋
  • パートタイム
  • ハワイの企業(2週間毎給料制)
  • 職種: 飲食店接客
  • 英語力:オーダーが取れればOK
  • 賃金:時給8ドル(+チップ)
  • 賄い:有だが給料から3ドル引かれていた
  • 制服:自前のアロハシャツ
  • ノルマ:週1回以上のシフトイン

こうしてみると、明らかに条件は良くないモバイル会社。

頭ではわかっていましたが、この会社にしがみ付いている必要はあるのだろうか?

もっと他に選択肢はあるんじゃないのか?

これで人生終わった訳じゃないはずだ

と、前向きに考えられるようになっていました。

そして偶然にも今日は私の22歳の誕生日。手すりを横切るゴキ〇リを後目に、今年は良い1年にしようと決めました。

次の日、会社に電話をして退職を伝えると荷物を取りに来るように伝えられました。しかし、店舗に入る事は許されず、外で待機していると同僚だったハワイ人が紙袋に私の私物を入れて持ってきてくれました。社長は顔も見せませんでした。それで終わり。

あんだけうるさかったのに、辞める時はあっさりだなぁ・・・と拍子抜けしてしまいましたが、これで重荷が取れたと思うとスッキリしました。

訴訟の件は気になっていたのですが、向こうも何も言わなかったので私も聞きませんでした。なのでその後、会社がどのように対応したのかは分かりません。社長の口ぶりから、訴訟されたのは初めてでない様子だったので、きっとどうにかして解決したんだとは思います。

その足でもう1つのバイト先に行くと、皆とても心配していてくれた事を知り、お寿司をご馳走してくれました。

2つの場所で同じように働いていたのに、こうも待遇が違うんだなぁ…とその時は不思議な気持ちになっていたのを覚えています。

就労を終えて、日本へ帰国

それからしばらくは寿司屋でのアルバイトのみに専念していました。寿司屋での時給の方が高く、チップや賄いも出ていたので生活するのには困りませんでした。

たまにリゾート地っぽくツアーや居酒屋のお手伝いをした事がありますが、そこまで稼げたという記憶もありません。そうして半年後、無事に就労期間を終え日本に帰国する事になりました。私の帰国が決まるとルームメイトのブラジル人は彼氏の元に行き、私は部屋をネットで募集した日本人留学生へ受け渡しました。もちろん自転車付きです。

そしてすべての荷物を日本に送り、帰国当日はスーツケースとリュック1つでホノルル国際空港へ。ハワイに来て1年、留学期間も含めると丸5年の海外生活を終えました。

色々な事があったハワイ生活の締めくくりは、成田空港行の飛行機が何かのトラブルで中部国際空港に連れていかれたという立派なオチまで付いてきたのでした。(名古屋から新幹線で東京に帰りました)

ハワイから帰国後、それから

ハワイでのリゾートバイトはとても大きな出来事でした。日本で就職しても同じような目にあったらどうしようという気持ちがあり、就職活動を先延ばしにしながら半年程フリーターをしながら過ごしました。とにかく自分に自信を持つことが出来ず日々ビクビクしながら働いていたのですが、シフトインする時間が学生よりも長い事もあって、あっという間にアルバイトリーダーになる事ができました。そこで少し自信を取りした事もあり、ハワイにいたことは必ずしも全てが悪かった訳ではないと思えてきました。なぜなら「強く言われると丸め込まれてしまう」と「適当に上手くやるができないこと」、「会社や相手に尽くしすぎてしまう事」という部分が自分にはあるんだなという事が客観的にみえるようになってきたからです。(「適当に下手にやる」はできるんですが。)

自分にはこんな側面があるという事が分かっただけでも、自分の中でどこまで踏み込んだら良いか、どれ位の量が自分にとったら負担になるかなどの匙加減ができるようになり、前より気楽に生きられるようになりました。

現在

「ハワイで精神科にぶちこまれたとか、なかなか無い経験っしょ!」と、今は笑って言う事ができます。自分の見たもの、経験したものを本の1ページとして収められたからでしょう。

おそらく自分の不得手な部分は根本的には変わっていないと思いますが、リゾートバイトを一生懸命やったという意味では燃焼したなと思えるので、後々の余裕にはつながる事ができました。

現在私は外資系会社の英文秘書として働いていますが、無茶な命令も笑ってあしらえる位になったのは当時の私には考えられない事だなと思います。おそらく以前の私だったら真面目に捉えすぎて潰れていたかもしれません。けど一回ドスンと潰された事、そんな経験も人生どこかで必要だと思います。人生どうにかなるものですし、挑戦し続ければどこかの道は開いてるものです。

おそらく私のような経験をする人の方が稀だと思います。そんな私ですら、現在は楽しく過ごせているので行って無駄になった事は1つもないと言い切れます。

どうせ挑戦するならその時、その瞬間にしか出来ないことをやってほしいと思いますし、一生懸命やった経験はいつかどこかで糧になっていると信じています。

ちょっとでも興味がわいたら、選択肢の1つとしてでも海外でのリゾートバイトを入れてみて下さい。Just do it!

ABOUT ME
ゆずぽん
ゆずぽん
東京都在住の2児のママ。18歳の時にワシントン州の大学に留学し、その後ハワイでアルバイトをして日本に帰国。海外で得た経験をもとに、現在は外資系企業で部長秘書に従事。趣味は100円均一で可愛い雑貨を見つける事。

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